【吉村 俊之】明治神宮に日本で唯一御神酒を納めている老舗酒舗の16代目店主!

吉村 俊之

江戸時代に「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と一世を風靡した老舗酒舗の16代目店主が本日登場する。

明治維新、関東大震災、第二次世界大戦、と3度の大きな危機を乗り越え、416年の間『お客様第一、信用第一』という商いの心得が脈々と受け継がれてきた。

お客様から愛され続けるお店を作る秘訣とは?

さあ・・・株式会社豊島屋本店代表取締役社長吉村俊之様の登場です!

 

「変わる部分と絶対変えてはいけない部分」

1596年(慶長元年)に創業し江戸の武士、職人、商人達をお客様に鎌倉河岸で酒屋と飲み屋を始めたのが、豊島屋のおこりです。

今でいうところの居酒屋のルーツみたいなものですね。

もともと家業を継ぐという意識が薄く、大学院を卒業後は、骨を埋めるつもりで日立製作所中央研究所に入社し半導体の研究員として勤めていました。

私が勤めた1980年代はちょうど、日米半導体摩擦の真っ只中で、日本のシェアが世界で半分以上を占めている時でした。最先端の製品を開発しようと日夜研究に没頭していました。

研究を進めるにあたっては、まさに失敗の連続です。

10個の仮説を立てたとして、それを実験で試しながら結果を確認する。

10個やってみて1つ成功すればいい方です。

成功するまでやり方を変えてトライするという地道な作業をコツコツと進めました。

仕事は順調で、やりがいはあったのですが、父親が高齢になってきたこともあり、

長男である自分が家業を継がないといけないと考え、会社を辞めることを決意しました。

家業に戻った最初の頃は、社員たちから得体の知れない者が突然入ってきた、と警戒心を持たれていました。

まず最初にやったことは、その時代に知って欲しいキーワードを自分で解説を付けて社員に配りました。また、提案箱を設置して積極的に社員の声を聞き、フィードバックしました。

1年程続けた時に従業員との間の垣根が次第になくなって、信頼感が芽生えていきました。

また、代々続く豊島屋の経営方針と行動指針をまとめたクレドカードを作りました。

行動指針は「不易流行」で、信用、品質、暖簾など守るべきもの(不易)は頑なに守りマーケティング、販売チャネル、商品開発など時代に応じて変えるべきもの(流行)は大胆に変えると考えて日々商売に取り組んでいます。

思い通りに進まない、うまく行かないことも必ずありますが、困難にぶつかったときに、「今は修行しているんだ。先人達の苦労の後に自分があり必ず今の努力が将来に生きるんだ」 と自分を信じることが大切ですね。その上で「なんとかなる!」という楽観的な部分をもって過ごしていきたい思います。

そして、店のバトンを次の代につなげる基盤作りが、私の役割と考えます。

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