【佐藤 信一】東日本大震災の津波の被害に遭いながらも写真を撮り続けたスゴいカメラマン!

佐藤 信一

2011年3月11日の震災時、大きな揺れの中、家に取り残された息子を助け出した時、死を覚悟した。

避難先の志津川小学校で、津波によって自分の家が流されていく光景を見ていた時、カメラマンとして記録に残すことが自分の天命だと感じシャッターを切り続けた。

宮城県南三陸町の一日も早い復興を願い、震災カメラマンとして震災時の情報や復興状況を配信し続けている。

写真が持つ大きな力とは?

さあ・・・震災カメラマン 佐良スタジオ、佐藤信一様の登場です!

 

「写真の持つ力」

カメラマンになったきっかけは家が写真スタジオだったからです。

高校までカメラに興味は無かったですが、自分が家業を継ぐものだと小さい頃から教えられたので自然と東京へ出てカメラの修行をしました。

カメラの専門学校を出て、写真館に6年間勤務しカメラの楽しさを覚えました。

26歳の時に南三陸町に戻ってきて、実家のスタジオを継ぎました。

2011年3月11日の東日本大震災の時ものすごい揺れが家を襲いました。急いで家を出て、避難をしようとしたら息子が家の2階に居ることが分かり、助けに戻りました。

うちの家は築70年以上が経ち、いつ倒壊してもおかしくない状態でしたのでその時はさすがに死を覚悟しました。

でも自分の息子と一緒であれば、絶対に後悔しないと思いました。

地元では何かあった時、私は写真を撮る役割をしていたので、自然とカメラを手にして志津川小学校へ避難しました。

小学校の校舎から津波の様子をカメラで撮影しました。

津波の迫る瞬間。建物が倒れる瞬間。人が流されていく瞬間。

『こんな状況で撮影を続けてよいのか・・・』という葛藤はありましたが、

しかし『この記録を残せるのは自分しかいない。後世に伝えるために記録を残さないといけない。』という使命感からひたすらシャッターを切り続けました。

震災の写真を記録して改めて写真の持つ力を実感しました。

写真はその時、その瞬間を切り取ってリアルに残せます。思い出深い家族の写真があるということ自体が生きる糧になることもあります。写真にはそれだけの力があると思ってます。

写真を撮り続け、南三陸町から配信し続けることは自分の天命だと思っています。

志津川には温泉もあるし、いいところも沢山あります。

皆様に、志津川にもう一度来たいと思ってもらえるように情報を発信し続けたいと思います。

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