【今野 由梨】ベンチャーの母と呼ばれるスゴい人!

今野 由梨

今では携帯電話は1人1台が当たり前の時代。

でも、数十年前は電話という通信機器自体が大変貴重なものだった。

そんな中、海外で体験した通信機器を使ったサービスを日本に取り込んだ。

しかし、閉鎖的な日本社会では、新しいサービスを立ち上げるには大変な苦労があった。

彼女が生み出した「赤ちゃん110番」は世界初の電話相談サービスである。

他にも、日本初の「24時間健康相談」も始めた。

彼女の貢献は国からも認められ、旭日中綬章を受賞した。

多くのベンチャー起業家を支援していることからベンチャーの母と呼ばれている。

さあ・・・ダイヤル・サービス株式会社 代表取締役、今野由梨様の登場です!

 

「人生を決定付けた9歳の体験」

1945年7月に三重県桑名市でB29爆撃機の焼夷弾が投下された。

『焼き殺される。もう死ぬ。逃げられない。』

心の底から強烈に『何故?何故なの?何も悪い事してないのに!』という想いが込み上げるとともに全身が恐怖で覆われました。

気づいたら、知らない男の人に背負われ火の海の中、奇跡的に無傷でいることができました。この体験は絶対にアメリカ人に話さないといけない。

それまで、笑顔が耐えなかった女の子がひとつも笑わなくなり、泣かなくなりました。

私は、正真正銘のPTSDになりました。

田舎にいてはアメリカへの足掛かりは掴めない。親に勘当されましたが、それでも、東京の大学へ進みました。

費用は県と国からの奨学金、そしてアルバイトをして捻出しました。大学生活は学生運動に没頭し、新聞部の編集長をしていました。

大学に貼られた女性を募集する求人はメディアではTBS1社だけ。

学生課に推薦を依頼したらあなたは行動的過ぎて推薦できないと言われました。

当時は、やる気のある女性を企業は必要としていなかったのでフリーターになり、

1日を早朝、午前、午後、深夜と4部に分け仕事をしました。

映画評論の仕事では、その奇抜な評論がTBSのディレクターの目に留まり、「街の歌声」というルポルタージュ番組のインタビュアーを任されました。人生って不思議ですね(笑)

ある日、NY世界博の日本館コンパニオン募集を知り応募しました。

3000名の人が応募していましたが採用されて、団長に任命されました。そんな中、ひとりの車椅子の人から話かけられました。「日本の何処から来ましたか?」「小さな町でご存知じゃないかもしれませんが名古屋と四日市の中間にある桑名です」といい終わるやいなや、「良く来た!」「良く来た!」と私に急に抱きついたのです。興奮を抑え息を整えながら、「私はあなたの街を爆撃した空軍兵士です」と言ったのです。

お互い、その晩の事を話しました。彼は焼夷弾を落としている時、罪の無い人達の事を思い気が狂いそうになり、終戦後も眠れず神経を病み下半身が不自由になっていたのです。9歳の頃に必ずアメリカに行って自分の体験を話すと誓った願いは突然叶えられました。人生は念じれば全て実現します。私の好きな言葉は「辛酸佳境に入る」です。辛い事や苦しい事は良い境地への始まりなのです。

希望を持って進みましょう。

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