【周 富徳】高級中華料理を日本に広めた炎の料理人!

周 富徳

子どもから大人まで幅広い年齢層に愛される“中華料理”。本日は、中華料理人の代名詞とも言える

炎の料理人が登場だ! 聘珍樓や赤坂璃宮で総料理長を歴任。昭和天皇の園遊会では、7年もの間料理人として指名され続けた。あの、中華料理の人気メニュー「エビマヨ」の産みの親でもある本日のスゴい人!は、何と、自身の半生が漫画・ドラマ化までされた!料理番組だけではく、バラエティまで活躍。

さあ、炎の料理人 周富徳様の登場です!

 

「楽しいから、中華料理を作り続けた」

今でこそ、「料理人=かっこいい」というイメージを持つ人が増えてきましたが、当時、料理人は誇れる職業ではありませんでした。 それでも、私は幼少期から料理人になると決めて18歳でこの道を選びました。理由は、簡単。中華料理を作ることが“楽しかった”からです。 新橋の中華飯店で過ごした10年間の下積み時代。朝は早く、夜は遅い。下ごしらえばかりで料理はほとんど作らせてもらえない。おまけに、給料も安い。そんな、フラストレーションの溜まる環境でほとんどの人が3年以内で辞めていきましたが、

私はそんな環境でさえも楽しかった。そして、気の合う親方に出逢えたことが何より嬉しかった。

親方から徐々に料理を任されるようになりましたが、料理は一切教えてくれません。料理は“教えてもらうもの”ではなく“盗むもの”。これが、当時の料理人のルールでした。親方が厨房を離れた隙に、こっそりと味見をして研究したものです。親方に見つかって、お玉で殴られたこともありましたね(笑)

最近の料理人を見ていると「昔と変わったな」と思うことが多々あります。親方の料理を盗もうとせず、すべてが自己流。少しでも待遇が悪いと、すぐに辞めてしまう・・・

 

私はお金がなくても、中華料理を作れることが何より楽しかった。楽しかったからこそ料理が覚えられた。

美味しい料理を作るのが楽しかったから総料理長にもなれました。だからこそここまで続けてこられました。長かった下積み時代、京王プラザホテルに引き抜かれたとき、聘珍樓や赤坂 璃宮で総料理長を務めたとき、テレビに取り上げていただいたとき。苦しいこともたくさんありましたが、とにかくすべてが楽しかった。

 

まずは、目の前のことをとにかく楽しむ。

これが、継続の第一歩ですよ。

タグ:

こちらのスゴい人もオススメです

日刊スゴい人!をフォローする