【村中 伸宣】札幌ラーメンを全国に広めたスゴい人

村中 伸宣

ラーメンって好きですか?
最近では、テレビ等での扱いも増え、ラーメンが大好きって方は多いと思います。
全国にラーメン屋が溢れる中、全国の店舗で1ヶ月に50万食を売り上げる男がついに、登場です!
どうして、ラーメンなのか?どうやって、日本一の座に登ったのか?
さあ、村中伸宣様の登場です!

「人事を尽くし、感謝を尽くして」
私は豊平川に架かる橋の袂で、ラーメン屋を営む家庭の次男として生まれました。
その後、高校を卒業してから、アメリカでの放浪生活を経て札幌に戻り、親から譲り受けたレシピを元手に兄とそれぞれ一軒ずつのちいさなラーメン屋を開店しました。
今思えばラーメン屋になった事に大きな理由はなく、強いて言えば親が種をまいてくれていたこの道に進むことが、必然と思えたからとしか言いようがありません。
お陰様でお店はほどほどに繁盛し、来る日も来る日もひたすらラーメンを作る日々が続きました。
このころは人手もなく毎日全てのラーメンを自分一人で作っていましたが、
それはそれで充実した日々だったと回想します。
そんな日々が数年続いたある日、横浜のラーメン博物館への出店の話が兄の元へ舞い込んだのです。
兄も毎日自分でラーメンを作っていたため、横浜への出店は自店の休業を意味することからこのオファーには難色を示していたので、代わって私が出店する覚悟を決めました。
この時の無謀とも言える決断の根拠は勿論アメリカの放浪生活で養った、チャレンジスピリットであったことに間違いはありません。
とはいえ・・・大きなリスクを伴う判断の決め手になったのは、出店のお話を頂いた方にそれまで色々お世話になっていたのでお断りすることが申し訳なく思えたからだったと記憶しています。
そして、この出店が切っ掛けとなり、テレビの全国ラーメン選手権という企画に出場依頼が来て、そこで優勝でき、日本一のタイトルを拝受する事が出来ました。
それからというもの、札幌の本店には連日長蛇の列ができ、信頼のおける優秀なスタッフがどんどん集まるようになり、大手製粉メーカーがカップラーメンの試作品をもって私の元を訪れ、あれよあれよという間に全国2万件のセブンイレブンの陳列棚に、すみれのラーメンが並ぶようになり、月間50万食を売り上げるようになっていったのです。
私がここで皆さんにお伝えしたいのは、私はとにかく目の前に与えられた仕事に一生懸命に取り組み、人の恩を忘れず感謝の心に従って生きてきただけだと言うことです。
そして、有難いことにそのように生きていると、いつの間にかもっと多くの人々の助けを頂けるようになり、何かに背中を押されるように幸せになることが出来たということなんです。
私は今この天から授かった幸せをどのようにお返し出来るだろうかと考えています。
天命とは・・まさに人事を尽くし、感謝を尽くして与えられるものだと確信しています。

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